

チベツト山岳旅行社
Tibet mountain trip
チベット ツアーならチベツト山岳旅行社。現地チベツト人が成立した旅行社、お客さまのご希望に柔軟に対応いたします。 チベットの文化・暮らしに触れる旅をご案内いたします。
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始めでチべットへ行き方
チベット自治区ラサへ行くには、入蔵証(入域許可書)を取得する必要があります。入域許可書はラサへと向かう列車や空港での搭乗手続き時に必ず提示を求められるビザのようなもの。忘
れずに現地でお受取ください。
パーミットは弊社を通してチベット自治区旅游局に申請します。旅游局の休館などで流動的ですが、パーミットの取得はご出発の通常2-3週間前に行います。
チベット自治区に入るには査証(ビザ)とは別にいわゆる入境許可証(パーミット)の手配が必要です。
パーミットは弊社が現地の旅行会社を通してチベット自治区旅游局に申請します。旅游局の休館などで流動的ですが、パーミットの取得はご出発の通常2-3週間前に行います。パーミット以外にも航空座席、ホテルの手配も必要となりますので目安としてご出発の2ヶ月前、遅くとも出発の3週間前まで(可能な限り早め)にはお申込みください。またパーミットの取得にはパスポートの鮮明なコピーまたはスキャンデータが必要です(パスポート原本や証明写真は必要ありません)。
(ただし、中国に16日以上滞在する場合は中国査証の取得が必要になります。また西チベットなど、外国人に開放されていない地域への旅行には別途、軍隊の許可なども必要になりますので、ご出発の3ヶ月前を目安にお申込下さい。遅くとも5週間前までに各種お手続きが必要になります。)
中国は、日本人の場合15日以内の滞在ではビザは不要です。
. パーミットは、現地旅行社がお客様のチベット自治区滞在中の手配一切を行い、お客様の行動に対して責任を持つと保証することで発給されます。お客様の行動に責任が持てないため、パーミットのみのご手配はいたしません。まず、外国人がパーミットなし旅行することは中国の法律に反します。また、チベット自治区行きの航空便や鉄道に乗る際には航空券、乗車券とともにパーミットの提示が必要です。さらに自治区内の主要道路にはチェックポストがあり、外国人の場合は身分証のほか、許可証の提示が求められますので、実質不可能な状態です。
チベット本土の基本情報と歴史
世界の屋根」ヒマラヤ山脈の北側に広がる、漢字では西蔵。簡称は蔵。古くは吐蕃(とばん)と呼ばれた。主都はラサ。古くからチベット人はカム(東部,チャムド地区),
ウェイ(中央部),ツァン(西部),アムド(北東部)の4区に呼び分け,ラサを中心としてダライ・ラマによるラマ教(チベット仏教)に基づいた政教支配が続いたが,生まれ変わりを信じ、一心に五体投地を繰り返す人々、白く輝くヒマラヤの峰、エメラルドブルーの高山湖、緑の大草原と遊牧民たち…。厳しい大自然と渾然一体となった仏教文化の花カイラス山(カイラスさん、Kailash / Kailas)、または カン・リンポチェ(チベット語: གངས་རིན་པོ་ཆ教(特にチベット仏教)、ボン教、ヒンドゥー教、ジャイナ教で聖地とされる。聖地とする理由は様々であるが、例えば、ヒンドゥー教ではカイラス山をリンガ(男根)として崇拝し、ボン教では開祖のシェーンラップ・ミヨが降臨した地としている。カイラス山の周囲の巡礼路を、チベット仏教徒は右回りに、ボン教徒は左回りにコルラと呼ばれる巡礼行為を行う。ジャイナ教と安息教の信徒たちは反時計回りに山を回りながら歩く。一周約52kmある巡礼路は、ゲルワ・グーツァンパが開いたといわれている。この巡礼路沿いにタルチョ、いくつかのチベット僧院(ゴンパ)、鳥葬場や仏足跡を見ることができる。巡礼路最高点ドルマ・ラは、標高5630m。日本人チベット巡礼僧の河口慧海は、「三途の逃れ坂」と呼んだ。通常の巡礼路の内側に、ナンコルと呼ばれる巡礼路もある。山麓南側にタルチェン村がある。巡礼者の多くはコルラを13回行う。特にチベット暦の午年には、1回のコルラで12回分の功徳が得られるとされ、多くの巡礼者を集める。巡礼へと向かう行為自体が功徳であるが、信仰心の厚いチベット仏教徒ではさらに五体投地(キャンヂャー)による礼拝でコルラを行う者も少なくない。
チベット本土の基本情報と歴史
もともとのチベットは「ウ・ツァン」「カム」「アムド」の3つの地方で構成されている。
チベットの広大な土地の半分にも満たず、総チベット人人口の三分の一に過ぎない
「チベット自治区」という意味と、混同すべきではない。
面積ウ・ツァン、カム、アムド地方を含む250万平方キロメートル。
ウ・ツァン地方とカム地方のほんの一部から成る「チベット自治区」
は120万平方キロメートル。チベットの大部分は「チベット自治区」の外側に広がっている。
チベット自治区 ,青海省,天祝チベット自治県・甘南チベット族自治州(甘粛省),
阿バチベット族羌族自治州・甘孜チベット族自治州・木里チベット族自治県(四川省)迪慶チベット族自治州(雲南省)人口 チベットに600万人。209万人はチベット自治区に住んでいる。
その他はチベット自治区以外のチベット人地区に住んでいる。
野生動物
チベットレイヨウ(別名:チベットカモシカ,チルー),野生のヤク(別名:トロン),
チベット野ロバ(別名:キャン)ブルーシープ,黒首鶴(別名:オグロ鶴)
チベットガゼル,ジャイアントパンダ,レッサーパンダ,ゴールデンモンキー(別名:チベットコバナザル・キンシコウ)
魔除けと祈りの旗「ルンタ」
チベット人は、日常、家の屋上、寺の中央、山頂、峠、橋や水辺などに、経文を印刷した魔除けと祈りの旗「ルンタ」(別名「タルチョー」)を掲げ、「ラーソル」(土地の精霊や仏を拝み焼香すること)の習慣がある。「ルンタ」は、自然災害、不作、家畜や人間の伝染病、旅、巡礼、新築、結婚式、新年の祭りや宗教的な行事などの時に、その土地や家の悪霊や災難を祓い清め、すべての生きとし生けるものが平和で幸福と健康に恵まれて過ごせるようにという祈願が込められている。
「ルンタ」の変遷 ―土地精霊崇拝から仏教的なものへ―
「ルンタ」の起源は、チベットに仏教が伝来する以前、ボン教の時代に遡る。
最初の「ルンタ」は、「ギャルダル」(勝利旗)、「マックダル」(軍旗)、「ルダル」(軍隊や遊牧民が団体で移動する時の旗印)として、テリトリーを象徴し、悪霊を祓い土地の精霊に祈願するものとして用いられてきたようである。チベットに仏教が伝来し信仰が浸透するに連れ、ルンタも少しずつ仏崇拝と融合し、
仏教的な象徴として使用されるようになった。そして、旗の形や模様も変化し、それに対する考え方も徐々に変わったようだ。
旗の中央には「風」「速さ」を象徴する馬が描かれている。
これは、願いごとが早く成就することを意味する*。
馬の周りに虎(タク)、雪の獅子(センゲ、日本語では「麒麟」と呼ばれる架空の動物)、鳳凰(キュン)、龍(テゥク)が描かれている。生命力を高め、幸運、富、健康に恵まれるようにという願いごとがチベット語で書かれている。
タラ菩薩の真言、観音菩薩の真言「オムマニペメフム」などが印刷されているものもある。
ルンタは、主に青、白、赤、緑、黄の5色で、青が空、白が雲、赤が火、緑が水、黄色が土を象徴している。
*日本の神社の絵馬も馬が使われている。馬は成就祈願の象徴
様々なマニ車
ニ車には、真言を唱えながら手で回すものが代表的である。手で回す小型のマニ車を「マニ・ラコー」という。
チベットの老人たちは時間が許す限り、この「マニ・ラコー」を回す習慣がある。僧院本堂にあるマニ車は、「マニ・ラカン」といい、高さ2~3メートル、直径3~4メートルの大きなものまである。また、マニ車には自然の力を利用して回転させるものもある。川や滝の水力で回るマニ車(「マニ・チュコー」)、灯明の熱で回る紙製のマニ車、自然の風で回るマニ車などがある。
マニ車の経文
マニ車に巻かれている経文「スン」の中身は様々であるが、大多数は真言「オムマニペメフム(観音の真言)」である。「オムマニペメフム」が何千回、何万回と繰り返し書かれており、その分量はマニ車の大きさによって異なる。時には、「オムマニペメフム」の他、パドマサンバワ(蓮華生)、ジャムペーヤン(文殊菩薩)、ドルマ(タラ菩薩)などの真言もみられる。心身込めてマニ車を回せば、回した分量の真言を唱えたことと同じ功徳があると言われている。
マニ車は神聖なもの
チベット人は、マニ車に巻かれている経文「スン」だけを買ったり僧院から入手したりして、マニ車を作ることもある。この場合、マニ車の上下、表裏を絶対に間違わないように巻き上げることが大切である。経文を間違って巻くと回しても正しく真言を唱えたことにならず、間違って巻いた人には悪い業が生じ、それを知らずに使用した人には功徳が少なくなると考えられているからだ。マニ車は、「スン」を正しく巻いて、高僧に「ラプネ」(「入魂の儀式」)を受けて初めて使用可能となる神聖なものである
ツァンパを撒く習慣
分離できないものを意味する。秩序と知恵が調和することにより至る純粋なる境地を表す。
特別な日、チベット人は、ツァンパ(チベット人の主食で、大麦を炒って粉にしたもの)を空にパラパラと撒く。この風習は、チベットに仏教が導入される以前に遡る。
チベット人は、感謝の気持ちを込めて、食事の前に食物を神仏に捧げる習慣がある。ツァンパを撒く習慣もここから来ているものだろう。ツァンパを撒く風習は、7世紀以降、王侯貴族の就任式や結婚式などで縁起と繁栄への徴として、さらに13世紀以降、階級、貧富を問わず、誕生日や結婚式、小さいな儀式においてもツァンパを空にばら撒く習慣がチベット全土に広まった。
チベット仏教の歴史
仏教の本家本元は、釈尊が生まれたインドである。チベットは、ヒマラヤ山脈を越えてインドの北隣なので、インドの直系の純粋な仏教を受け継ぎ、今日まで守り伝えている。チベットへの仏教初伝については、様々な伝説が語られているが、本格的な伝来は、8世紀の後半にインド哲学の巨匠シャーンタラクシタと大密教行者パドマサンバヴァを招聘したことに始まる。当時隆盛を極めていたチベットの古代帝国は、国家の指導理念を仏教に求め、寺院や僧侶に手厚い保護を加えた。ごく短期間に膨大な経典をチベット語に翻訳するなど、奇蹟的な偉業の数々が達成されたのは、まさに国運を賭けて進めた仏教化政策の賜物である。その後、9世紀の中頃に統一王国は崩壊し、仏教界も大きな痛手を被った。けれども、仏教の信仰は民衆の間へ広まり、好戦的で勇猛果敢なチベット人たちは、平和を愛する心優しい民族へと変貌していったのである。11世紀になると、インドから招いたアティーシャという名僧の指導により、チベットの仏教は見事に再生を遂げた。そして、ミラレーパのような大聖者やサキャパンディタをはじめとする大学僧が輩出してきた。ところがこの時期、本家のインド仏教は衰退へ向かい、13世紀初頭にイスラム教徒の攻撃を受け、滅亡を余儀なくされてしまう。仏教側の最後の拠点だった大僧院の座主はヒマラヤを越えてチベットへ逃れ、大切に守り伝えてきた教えや戒律の全てをチベットの僧侶に託した。このようにして、チベット仏教は、インド仏教の本流をそのまま継承すべく運命づけられたのである。13世紀の中頃.チベット はモンゴル帝国の襲来を受け、