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  • チベット自治区ラサへ行くには…まず山旅代理店を通してホテルとガイドを手配し、入藏許可を取得する必要があります。ラサ行きの電車内や空港でのチェックイン時に提示しなければなりません。忘れずに現地で受け取りましょう。

    ポタラ宮

     

    チベットの人々から「ツェ・ポタラ(最高の王宮)」と崇められてるポタラ宮。「ポタラ」とは「補陀落」を意味し、観音菩薩の住まう場所、つまり観音浄土を表しています。7世紀にソンツェンガンポ王がマルポ・リ(紅丘)に宮殿を造ったとの伝説から、ダライ・ラマ政権を確立し、チベットにおける聖俗の最高権威者となったダライ・ラマ5世が、ここにポタラ宮の建設を始めたのは今から350年前。建築には50年の歳月を要し、完成したのは1695年のことです。後にダライ・ラマ14世がインドへ亡命するまでの約250年の間、チベットの政治・宗教の中枢として機能してきました。
    東西約370m、高さ110mの宮殿は、政治を執り行う白宮と宗教儀礼を司る紅宮から成ります。宮殿内部は迷路のように入り組んでおり、極彩色の壁画で彩られています。壁画にはチベット建国史や神話、人々の暮らしぶりなどが描かれており、かつてのチベットの様子をご覧いただけます。ポタラ宮は1994年に世界遺産に登録されました。

    【ポタラ宮 観光順所】

    ①入り口:手荷物のX線検査を行います(マッチやライターや液体物は持ち込めません)。また、パスポートの提示が必要です。②入り口を入ってすぐの白い建物は2003年まで民居でした。現在は廃墟となっています。③坂道と階段を約300段、標高3,765mまで20分ほど昇るとデヤンシャル(広場)です。④デヤンシャルから白宮の屋上まで上がり、白宮の観光。ダライラマの王座や寝室があります。⑤紅宮の見学のポイントは4箇所。チベット仏教の奥儀・カーラチャクラの金銅製の立体曼荼羅、ソンツェンガンポ王の洞窟、白檀でつくられた観音菩薩の祀られるポタラ宮で最も聖なる場所・聖観音洞、5世ダライラマの霊塔です。
    ※現在、ポタラ宮の観光は1日の観光客の人数を制限しています。観光開始時間は購入したチケットに記載されています。特に夏期は大変混雑するため、観光ご希望の方はツアーでの参加がおすすめです。※ポタラ宮前広場では、ポタラ宮の前で五体投地をする人々やポタラ宮の全景を撮影することができます。ここから地下通路を通り、ポタラ宮へ向かいます。

    ジョカン寺

    7世紀創建。チベット仏教界で最も神聖な場所だと考えられており、門前には常に信仰篤いチベットの人々が祈りを捧げています。 五体投地によりつるつるに磨かれた門前の敷石を見ると、遙か昔から人々の信仰を集めてきたことを実感することができます。寺はパルコル(八角街)と呼ばれる巡礼路に囲まれており、マニ車を片手に時計回りに巡礼する人々の姿を見かけます。 伝説によると、チベットの大地の下には羅刹女(鬼女)が伏せていると考えられていたため、古代吐番王国の初代国王ソンツェン・ガンポがその鎮圧のために、羅刹女の心臓部にジョカンを建てたといわれています。歴史上では、ソンツェン・ガンポ王の2人の王妃、ネパール出身のティツンと、唐から嫁いだ文成公主が、王の菩提供養のために建てたと考えられています。 ジョカンは2000年に「ラサのポタラ宮歴史地区」として世界遺産に追加登録されました。

    チベット自治区ラサへ行くには…まず山旅代理店を通してホテルとガイドを手配し、入藏許可を取得する必要があります。ラサ行きの電車内や空港でのチェックイン時に提示しなければなりません。忘れずに現地で受け取りましょう。
    チベット自治区ラサへ行くには…まず山旅代理店を通してホテルとガイドを手配し、入藏許可を取得する必要があります。ラサ行きの電車内や空港でのチェックイン時に提示しなければなりません。忘れずに現地で受け取りましょう。

    ノルブリンカ宮殿

    歴代ダライ・ラマの夏の離宮。 ダライ・ラマ7世の時に建てられて以来、歴代のダライ・ラマがここで夏を過ごしました。
    ノルブリンカ最大の宮殿はダライ・ラマ14世が建てたタクテン・ミギュル・ポダンです。1959年3月17日に14世はここからインドへと亡命しました。中に展示されている時計は、ダライ・ラマが宮殿を出た当時の時間をさしたまま止まっています。
    現在、広大な敷地は人々の憩いの場となっています。ノルブリンカ宮殿は2001年に「ラサのポタラ宮歴史地区」として世界遺産に追加登録されました。

    デプン寺

    チベット仏教黄帽(こうぼう)派(ゲルク派)の大本山の一つ。チベット自治区の首府ラサの西方約4キロメートルの禿山(はげやま)の斜面に建てられたチベット最大の寺。正式にはレカル・プン   パBras dkar spuns-pa(白米の累積の意)といい、セラ、ガンデンとともにゲルク派のラサ三大寺をなす。1416年、ツォンカパの高弟ジャムヤン・チョエジェ・タシ・ペルデン(1397―1449)が建立、第1代座主(ざす)となった。寺内には第2世ダライ・ラマの建てたガンデン宮殿があり、第5世ダライ・ラマがポタラ宮を建てて移るまで、代々のダライ・ラマの宮殿であった。往時は7学堂、1万人を超える僧侶(そうりょ)がいたが、現在は400人余のみ。インドのカルナータカ州マンゴッドMundgodにも同名の寺が建てられ、その2学堂に400人余の僧侶がいる。

    チベット自治区ラサへ行くには…まず山旅代理店を通してホテルとガイドを手配し、入藏許可を取得する必要があります。ラサ行きの電車内や空港でのチェックイン時に提示しなければなりません。忘れずに現地で受け取りましょう。
    チベット自治区ラサへ行くには…まず山旅代理店を通してホテルとガイドを手配し、入藏許可を取得する必要があります。ラサ行きの電車内や空港でのチェックイン時に提示しなければなりません。忘れずに現地で受け取りましょう。

    セラ寺

    「チベットの野バラ園」とも呼ばれるセラ寺はチベットで二番目に大きな寺院で、デプン寺、ガンデン寺と合わせてラサの三大寺院として知られています。チベットで二番目に大きな寺院で、デプン寺、ガンデン寺と合わせてラサの三大寺院として知られています。西暦 1419 年に建てられました。セラ僧院では有名な討論の場面を見ることができ、首都ラサの北3キロメートルの山麓(さんろく)部にある。正式な寺名はテク・チェン・リンtheg chen gli(大乗寺)という。1419年ツォンカパの没年に完成。明代の永楽帝の時代により奉じられた経典や仏像は今もセラ寺の宝物となっています。また、日本人とも縁が深く、河口慧海や多田等観が行したことで知られています。

    アニ・ツァングン寺

    明の時代に設立され500年以上の歴史があり、創始者はツォンカパ師の弟子であるグジュエ・クンダンです。グジュクンダンはチベット暦の地鼠の第6年(1389年)に生まれ、チベット暦の第7水牛の年(1445年)に59歳で亡くなった。 7世紀に吐蕃ソンツェン・ガンポがラサの街を建設したのは、蛇行川(ラサ川)の氾濫を防ぐため、川岸に土の洞窟を掘り、経を唱えて祈りを捧げたとも言われています。水の魔物を鎮圧するために「滄宮」と呼ばれる。 15世紀にツォンカパの弟子グジュクンダンがここに来て、ソンツェン・ガンポ王の遺志を受け継ぐことを決意し、ここで経を唱えて祈りを捧げ、土窟の周囲に尼寺を建てたことから「倉宮寺」と呼ばれるようになりました。当時の寺院は非常に小さく、1 階に 8 本の柱しかありませんでした。北にはソンツェン・ガンポが住んでいた経坑があり、南には黒い石で彫られたソンツェン・ガンポの像と彼が生前使用していた仮面が置かれています。パドマサンバヴァ、ドルジェ・ナムギャラン、アミターユスなどの土製の仏像もあり、寺院の後には尼僧の数が増えたため、2階建ての経堂といくつかの黄土色の小さな建物は尼僧が修行するための住居として使用されました。 200 人以上の人々が暮らすこの寺院は、チベットで最も有名な尼僧院の 1 つになりました。

    カイラス山